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ACQUA DI GIOIA / Giorgio Armani(ジョルジオ・アルマーニ)

香水はまさに香りが全てにもかかわらずCMでは言葉として絶対に伝えることができませんが、それだからこそそこに世界観演出の理想があります。


花王というブランド

サラリーマンは家庭を顧みず、仕事ばかりの生活のため、技術偏重になった。

とあるサイトでの日本に対する論評である。

いや、あえて更に言うならば、お客様視点のマーケティングを重視しすぎ、ブランドとしての世界観・理想と言うものを築いてこなかった。というのもあるかもしれない。
そこには常にスピード感もおのずと必要となり、忙しい日本人が完成するのだ。だが、そうやって企業同士が切磋琢磨し、強い企業を育て、経済を盛り上げてきたのは事実だ。

シャープやソニーと言った会社もまさに時代を読むことをできずに技術偏重の戦略で失敗してしまった会社だろう。技術力の高さは、安さによってメリットに初めて尺度が得られるものだからだ。一方で、ブランドは個性であり、それは安かろうが高かろうが消費者のメリットは変わらない。

ここに挙げる花王という会社も、100年以上続くモノづくりの会社であり、その日本の良い意味でも悪い意味でも代表的な会社である。

清潔・美・健康。

この3つのコンセプトがまさに花王のテーマであり、商品となっている。

P&Gに対抗すべく日本産のせっけん作りから始まり、アタック、エッシェンシャル、クイックルワイパーなどお客様のニーズを捉え、様々なヒット作品を出してきた。

花王はまさにお客様をリスペクトし、その時代にそった必要な商品をまじめに作ってきた。そのお客様至上主義は、果たして動物実験反対、オーガニック、ブランド志向などの新たな価値観を持つ消費者にどういう道を作っていくのだろうか。

またそして、清潔とは本当はどういうことなのか、美とは何が美か、健康とはどうあることかが見直される時代であり、その企業の理想型がどういう姿かを問われる時代にもなるであろう。

URBAN OUTFITTERS(アーバン・アウトフィッターズ)


先日、友絵工房に化粧品の卸販売についてのコンタクトがあったのでご紹介。アーバンアウトフィッターズは、言うならば日本のビームスやユナイテッドアローズのような自社ブランドとセレクトを併せ持つお店。それ以外にも、シップスやエディフィス、トゥモローランドなど日本では定番的な店舗形態だが、一方海外では比較的珍しいのである。

私がロンドンで出会い、世界観の面白さにファンとなった経緯があります。ただ、イギリスはアメリカでも同様ですが、彼らにとってのSは、私たちのMになるので、XS(私たちのS)という商品はなかなかないため、買えるものが少ないのも事実。。

以下、Wikiより

アーバン・アウトフィッターズ(英: Urban Outfitters)は、ペンシルベニア州フィラデルフィアに本社を置くアメリカ合衆国の衣服メーカーである。衣服のほかにも、流行に敏感な若者をターゲットにした家具、雑貨、書籍など幅広く扱っている。デザイン・スタイルの指向として、レトロ、ビンテージ、ボヘミアンなどがあげられる。店舗では、自社ブランド製品の他にも、エヴィスジーンズ、ラコステ、ディーゼル (ファッションブランド)なども取り扱っており、セレクトショップ的な色合いがつよい。最近では自転車のオンライン販売も始めている。140店ほどの店舗を、アメリカ合衆国、カナダ、アイルランド、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、ベルギー、イギリスで展開している。なお、日本では2009年現在、まだ出店していない。

チーニー(CHEANEY)/イギリス

1886年、JOSEPH CHEANEY社は設立されました。

初代ジョセフ・チーニーは会社を設立する数年前までB.RILEYという工場の工場長をしておりました。ヴィクトリア女王在位39年目の年、彼は運を試すためにノーザンプトン州のデスバラ-駅に続く通りにJ.CHEANEY, BOOT & SHOEMAERSと言う名の小さな工場を開きました。
ノーザンプトンは高品質の革靴の産地として、世界の識者には良く知られていますが、特にここ50年ほどでその評価は高まっています。しかしながら、1つの産業としてそのように高い評価を得るには実際にはもっと時間が掛かっています。 

1800年代になり、初めて家内工業的な靴生産が徐々に合理化され工場化された生産が始まりました。
ノーザンプトンにはきちんと組織化され100年以上運営されている工場が数多くありますが、偶然というか、極めて希なことですが全ての工場が高級紳士靴の生産を行っております。 

1800年代の後半は幹線道路沿いに並ぶ小さな町や村が靴産業に支えられ発展してゆきました。そしてチーニー社のあるデスバラー(DESBOROUGH)もそのうちの1つです。その当時地元の多くの人々は革靴製造に従事しておりましたが、それらは組織だった製造方法ではありませんでした。彼らは自宅の庭の片隅にあるSHOP(ショップ)と呼ばれる小さな作業場で靴製造に必要な一行程のみを作業し、次の作業工程の為にその半製品を別のSHOPに送っていました。完成するまでに幾つかのSHOPの行程を経た靴は最終的に中央の集荷所に集められ出荷されてゆきました。

集荷体制が完備する以前には地元の顧客のみ対象とした地場産業でしたが、デスバラー及び他のノーザンプトンの都市が大都市に続く幹線道路に面していた事、又鉄道の便も良かったこともあり、産業としての靴製造が確立されました。
そのような状況の中で、一時デスバラーでは7つの工場が稼動しておりました。 

1890年にジョセフの長男のARTHUR(アーサー)が入社しそして1896年、現在の工場に移転しました。
この新工場移転により靴製造に必要な全ての行程が一カ所で行われるようになりその後の40年近くにわたり飛躍的な成長を遂げました。

1962年新工場が拡張されるまで、チーニー家の邸宅は工場の敷地内にあり、またジョセフ・チーニーは地元の議員としてまた敬虔なクリスチャンとして良く知られ積極的に地元に貢献しておりました。

第一次世界大戦の頃のチーニー社の生産量は約2,500足/週で、その後順調に合理化を行いながらその後3代にわたり靴製造に専念し現在に至っております。

現在のチーニー社では200人以上の従業員を抱えるまでに成長し、高度な技術を駆使し、又よりきめ細かいマーケット・ニーズに答えられるよう生産体制が整えられております。そして英国内のみならず世界各国への輸出も手掛け品質の面でも高い評価を受けるようになりました。

CHANEL N°5


どこかで見たような顔・・・と思ったら、「アメリ」の主演、オドレイ・トトゥ。

ココ・アヴァン・シャネルというココ・シャネルの伝記映画でも主演してました。